シラ35.15b-17, 20-22a・詩編34.2+3,16+18,19+23・ルカ18.9.14
私たちは、今日の朗読から本当の謙虚さの持つ意味を理解しようとしています。本当の謙虚さは、私たちの祈りに応えられ、正義が全うされる事を、公正かつ公平(偏見のない)な神さまが、いかにして約束して下さったのかという事の理解へとつながっています。
今日の福音朗読の中でイエス様は、私たちの独善性に対する偽りのない謙虚さを教えて下さっています。私たちが黙想するにあたって、独善性と神さまのいつくしみと愛への信頼(力をお与えくださる神さま、みことばへの忠実さの実りを約束してくださった神さまがおられる)との違いを見極める事ができますように。私たちは、ファリサイ派の人々と悔い改めた徴税人を比較したたとえ話を知っています。ファリサイ派の人々の性格は、自分たちの独善を良しとしている人々の性格を表しています。さらに、自分たち自身と独善性を高めるためならば、他の人々を見下す事でさえもできました。これが、神さまから自分だけの恩恵を受けるための彼らの祈り方でした。けれども、「本当の謙虚さ」を持つ徴税人は胸を打ち、神さまが、罪びとである彼に対していつくしみをお与えくださるようにと祈りました。重要なのは、神さまの愛といつくしみへの信頼から成る「本当の謙虚さ」であり、神さまは、決して偏見がなく、特に抑圧された人々や謙虚な人々の嘆きを聞いて下さるという事です。第二朗読の使徒パウロによって書き溜められた書簡にあるテモテへの手紙で、パウロは、神さまのみことばを広める力をお与えになった神さまに感謝しています。パウロは、神さまがそばに居て下さり、強さをお与えになった事をはっきりと理解し、そして、信仰深くあり続けました。信仰深くあり続ける人は、天の国に救い入れられるという事を、彼は確信していたのです。
