民数記 21.4b-9・詩編 78.1-4, 32-35・フィリピ 2.6-11・ヨハネ 3.13-17
私たちは、過ぎ越しの神秘を思い起こす事で、黙想を始めます。「イエス様は、十字架上でお亡くなりになり、新しい命を受け、天に父のもとに戻り、聖霊の息吹をお与えになります。」いつも十字架称賛の祝日では、どのようにして、また、なぜイエス様が「十字架に架けられた」のかという事に焦点が当てられています。イエス様が十字架上でご自分のいのちを捧げられたのは、私たち一人ひとりへの父である神さまからの愛のしるしです。「永遠のいのち」に対しての私たちの希望は、私たち一人ひとりへの父である神さまからの愛によって成り立っています。ですから、私たちは、聖なる十字架のうちにいのちを見出すのです。私たちは、日々、イエス様は私たちの生活の中心であり、そして、聖なる十字架であると、はっきりと宣言します。
聖なる十字架は、今日までのすべてのキリスト者にとって、とても尊ばれているシンボルです。今日の朗読は、私たちを聖なる十字架への深く十分な理解へと導き、特に、私たちの忍耐と理解が危機に瀕している時、悩みや疑い、不安や恐れに代わって、常に聖なる十字架からいのちを見出すようにと導いてくれます。第1朗読では、神さまからいただき続けている愛についての説明がなされています。私たちは、不平を減らして、そのかわりに、聖なる十字架を胸に抱き、最もいつくしみ深い神さまと、そして、神さまの救いの御業と、特に神さまの癒しと赦しの御業に身を委ねるようにと求められています。今日の福音朗読では、父なる神さまが、世を裁くためではなく、救われるために御子をお遣わしになったという事を思い起こさせてくれます。「イエス様は、人びとが永遠のいのちを得るために十字架に架けられなくてはならなかったのです。」
聖書(神さまのみことば)にある、私たちに勇気を与えてくれる言葉のすべては、過ぎ越しの神秘から成り立っています。聖なる十字架を熱い心で受け入れ続けるようにという、神さまからの響き渡る招きは、すべてのキリスト者への招きです。私たちのすべての兄弟姉妹たちが、共にキリストの聖なる十字架を受け入れる事で、慰めを見出すことができますように。