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2025年9月07日・年間第23主日(C)

知恵9.13-18・詩編90.3+5ab,4+5c+6,11+12・フィレモン9b-10,12-17・ルカ14.25-33

今日の朗読で、私たちは、ほんとうのキリストの弟子である事の意味について、もっと深く掘り下げるようにと招かれています。ほんとうのキリストの弟子となるためには、一見、衝撃的な指針あるいは必要条件があります。私たちは、敵を愛するようにと召されていますが、一方で、今、キリストの弟子となるためには、家族を憎むようにと求められています。これらのイエス様のみことばをどのように、また、どのような状況で理解すべきなのかという事は、確かにじっくりと考えるための十分で静かな時間が必要ですし、私たちがお互いにしっかりと話し合う事も必要かもしれません。神さまの知恵と聖霊による働きかけは、今日の第1朗読に詳しく書かれている通り、私たちにとって必要なものなのです。

 

私たちの知識のレベルを満たすために、今日の朗読はどのように解釈されているのか、私たちは、教会の聖書に詳しい人々に頼ることもできます。実際に聖書が私たちに語りかけていることを本当に理解するためには、ほとんどの場合、地上での私たちの心配事が、私たちの心を曇らせてしまっているという事を自覚する事から始めるのが良いかもしれません。

 

前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。今日の福音朗読で具体的にイエス様が言われている事は、本当の弟子は、私たち皆が一つの家族であり、お互いの兄弟姉妹であるという事を認識しているという事です。私たちは、この大きな家族のすべての人に対して公正であるようにと、常に求められています。そして、それぞれの自分たちの家庭にいる両親、兄弟姉妹のような身近な家族において、キリストの弟子は、いわゆる大家族の一員に対しての有害で不正で愛情のない行いを許しません。

 

私たちは、両親を愛し尊敬するようにと、そして、それぞれの家庭にいる兄弟姉妹たちを愛するようにと招かれています。まず第一に、何かの理由のために、完全にまたはある部分で、自分たちの家族から背を向けられたり引き離されたりしている人々のために、私たちは祈ります。誰かが家庭の中で少ししか愛情を見いだせないという事を知らされるのは、とても悲しいことです。そのような人々が、自分たちの家族と再会し、この大家族の皆から慰めを見いだすことができるように、私たちは祈ります。

 

今日の第2朗読では、心から赦し、迎え入れる事で、家族の中でどのように愛が育っていくのかについて、もう少し教えてくれています。思いやりと寛容さは、確実に家庭の中から始まるということを、いつも認識していることができますように。けれども、同時に、思いやりの心は、家庭の中だけで終わるものではないということも、私たちは忘れてはいけません。自分たちにとって他人であると思っているかもしれない人は、もはや「他人」であってはならないのです。私たちの中に、奴隷も下層階級の人々も、そして、人類として価値の低い人種は、もう存在しないのです。