イザヤ66.18-21・詩編117.1+2・ヘブライ12.5-7,11-13・ルカ13.22-30
今日の朗読では、人類に対する神さまのご意向について語られています。神さまの無償の愛と深いいつくしみによって、神さまは、すべての人々が集まり、ご自分のもとに来る事を望んでおられます。神さまの栄光を分かち合うために、神さまご自身が、すべての国から人々をお集めになるのです。神さまが人々をお集めになる時、何人かは神さまにお仕えする役割(神さまのみことばを皆に伝え広める)を担い、また、何人かは聖なる神殿で司祭や聖職者といった、もっと具体的な役割を担います。
私たちは、対照的な2つの生き方についてイエス様が教えて下さっている事を知っています。狭い門と広い門があり、狭い門は偽りのない人生の道を表していて、広い門と比べ、この門を入る事は容易ではありません。狭い門はほんとうの命へ、広い門は破壊へと通じているのです。イエス様は今日の福音の中で、私たちに狭い門を選ぶようにと強く求めておられます。神の民である私たちは、狭い門を選びたいと望んでいます。そして、私たちが狭い門を選び、この門を入ろうとしても、私たちが考えている以上に容易な事ではなく、それ故に多くの人々はこの門を入る事ができないという事を、イエス様は念押ししておられます。だからこそ、イエス様は、私たち一人ひとりが「苦労のない成り行き任せ」な生き方を、どうにかして避けるようにと促しておられるのです。家の主人が門を閉じてしまい、それから扉をもう一度叩こうとしても遅すぎるのだという事を、私たちはわかっていないのかもしれません。
数週間前に、私たちは、執拗に祈るという事について語られている神さまのみことば(福音朗読)について黙想しました。その福音は、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれるという、神さまの愛(寛大さ)を私たちに教えています。確かに、神さまの豊かな愛と柔和な心配りを、私たちがどのように理解するのかを示しています。今日のより深い黙想のために、私たちは、神の民に対する神さまの豊かな愛についての理解を保ち続けます。神さまは、まさに自分の子どもたちを愛する父親のように私たちをとても愛しておられるので、ご自分の子どもたちに鍛錬をお与えになります。ほんとうの命/永遠の命へと通じる狭い門を入る事ができるように、私たちは、この鍛錬に忍耐するようにと招かれています。この事を前提に、私たちは鍛錬を忍耐する事を理解していく事でしょう。
ヘブライ人への手紙(今日の第2朗読)では、神さまが愛しておられる者に対して、どのように鍛錬をお与えになるかという事が書かれています。常に神さまからの鍛錬は、努力と不動の心(決意)、そして、勿論、神さまへの信頼から成り立っており、どれも欠くことのできないものです。何人かの人々は、まず狭い門を望み、その門を入る事を選びますが、忍耐/辛抱が足りず、それゆえに鍛錬を得られず、その先になかなか進めない事を経験します。イエス様は、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もあるという現実を、私たちに気付かせてくださいます。
神さまがお与えになる鍛錬は、神さまの愛の一部であるという事を理解し続ける事ができますように。私たちは、愛されているからこそ、鍛錬を受けています。神さまは、私たちの日々の生活の経験(狭い門)を通して、もっと強くなれるようにと教え、助けて下さっています。神さまへの信仰と信頼のうちに...