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2025年8月3日・年間第18主日(C)

コヘレト1.2,2.21-23・詩編95.1+2,5+6,7+8・コロサイ3.1-5,9-11・ルカ12.13-21

私たちの今日の朗読は、私たちが毎日の生活の中で本当に大切で優先すべきものを、もう一度考えなおし(見直し)、正直に確かめる気持ちにさせてくれます。たしかに私たちは、大人になったら何になりたいかと周りの人から聞かれた時、過去を思い起こす事で、大切にしてきたものや優先させてきたものを、きっと見つける事ができるでしょう。私たちは、成長し何年も一生懸命に努力して、自分たちの夢や培ってきた専門知識によって、どのように成功したのかを自分に言い聞かせることができるようにという目標を持っています。すでに亡くなっている多くの人々は実際、彼らが世界のために成し遂げ、貢献した事によって、今も皆によく記憶されています。事実、私たちも人生において成功したと自分に言い聞かせることができるようになるまで、このような人々に憧れ、彼らは私たちの夢がかなうための模範となります。これは、いつも自分たちの気持ちを奮い立たせ、生き生きと健康で、そして、地上で得たものを自分のために使って楽しむには良い事です。けれども、私たちは皆、この世の富から心を切り離すようにと招かれています。

 

今日の黙想は、「この世」のものでほんとうに大切なものは何なのかを、私たちにもっとよく気づかせてくれる事ができると、私は信じています。この事に関しての「愛着と離脱」について、私たちは語り合う事ができるかもしれません。一方で、確かに私たちは、いつも勇気付けられ、この世で見たり作り続けている全てのものの信頼できる管理者となるように、同時に、物質的な富から離れて物事を見る事を忘れず、そして、永遠にあるものにもっと焦点を当てる事を忘れないようにと招かれています。これまでの人類の経験は、この世の富やいわゆる「人生の成功」は、底知れぬむなしさをもたらすという事を教えてくれています。それ故に、キリスト者の信仰という観点から、私たちは、神さまがお与えくださる事のできる永遠の喜びと充足感のみを、いつも心に留めています。私たちは、貪欲でないように、必要以上に富を貯えないようにと招かれています。今の時代の先生や賢者(人生をよく考察している人々)のような、信頼できる多くの人々からのたくさんの助言によって、利己的な欲望やこの世のものへの愛着は、私たちを神さまや、隣人たちとのほんもので健全なつながりから引き離してしまうという事を、私たちは学ぶのです。