創世記18.1-10a/詩編15.1+2,3+4a+6/コロサイ1.24-28/ルカ10.38-42
私たちは、教会の典礼暦にある2つ目の年間の期間を迎え、毎日の生活の中で、私たちが、どのようにして私たちの信仰を実際に生き抜いていくのかという重要な課題を与えられています。先週は、神さまの戒めが私たちのとても身近にある事、私たちにとって難しいものではない事、そして、すでに私たちの内にあるという事を思い起こしました。私たちが成すべきことは、この戒めに従う事だけであるという事を思い起こしました。まさにサマリア人の旅人のように、いつくしみ深くあって、自分たちの隣人に対してすぐに(特に、その人が最も必要としている時に)手を差し伸べる事で、私たちは、信仰を実際に生き抜く事ができるのです。
今日の朗読は、献身、もてなし、そして、奉仕について書かれています。わたし達は皆、神さまのみことばに対して、毎日を心からの献身を持って、もっと信仰のうちに実際に生き抜いていきたいと望んでいます。神さまのみことばに対して心から献身するという事は、神さまのみことばを常に、そして注意深く聴く事ができるようにする事です。神さまのみことばが私たちの心のまさに核心に響く時、私たちは隣人をもてなしたい、つまり、隣人に対してもっと心を開き、迎い入れるようになりたいと望みます。私たちは、イエス様のように仕えられるためではなく、仕えるようになりなさいと鼓舞されてきました。確かに、奉仕活動には、目前に迫る/来るべき困難/犠牲が伴います。パウロはコロサイの教会への手紙で、苦しむことを喜びとするという事について語っています。つまり、犠牲に伴う困難や忍耐に立ち向かうという事は、私たちの信仰を強めてくれるという事を教えてくれているのです。ですから、感謝するこころとは、隣人に仕える機会を与えられた人々の心なのです。これらの人々は、隣人に仕える事によって、自分たちの思いが清いものとされ、イエス様にもっと近づけられる事に感謝しています。
私たちは皆、隣人に仕えるようにと招かれています。イエス様とイエス様の教えが、私たちのもてなしと奉仕の礎となりますように。