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2025年5月25日・復活節第6主日(C)

使徒言行録15.1-2,22-29・詩編67.2+3,4+5,7+8・黙示録21.10-14,22-23・ヨハネ14.23-29

今日の朗読も引き続き、初代教会の信仰生活について書かれています。彼らの信仰をより深める上で、おそらく役に立つであろう行動のための指針と行いに関して、いくつかの問題がありました。イエス様の使徒たちの役割は、おそらく役に立つであろう行動の本当の目的に辿り着くために、それらの意図/動機を明白にする事でした。使徒たちは、何が必要であり、何が信徒たちに重荷を負わせるだけの無意味で不必要な行いであるかを明白にする必要がありました。必要な事とは、信徒たち一人ひとりにほんとうのイエス様の平和をもたらす事です。ことばの典礼の後半で、弟子たちに、ご自分の平和をお与えになると言われるイエス様のみことばがあります。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」

 

私たちは、初代教会での生活においてでさえも、何がほんとうに正しい行いであり、何がほんとうに私たちに救いをもたらすのかという問題があった事を理解していますが、現在の私たちは、聖霊によって私たちがどこに導かれるのかをよく見極めるようにと招かれています。私たちの信仰を明確に表すうえで、私たちには多くの理解や解釈、食い違いや意見の相違があります。けれども、私たちは、聖霊の導きに身を委ね、聖霊の力によって、私たちや信徒の仲間たち、教会の指導者たちが、キリストのうちに一致する事を見出すことができるでしょう。私たちは、痛みや死、死後の世界、性的な生活や性的指向、結婚や家族計画、教会や社会における男女の役割り、そして、その他の多くの複雑な問題について、異なる考え方や疑問を抱えています。いつも私たちは、日々、一人ひとりが、まず第1に聖霊に忠実に耳をかたむけ、導きを受ける事を望んでいます。私たちがいつも、イエス様からの贈り物である平和を心から受けとめ、心から許し合い、お互いに受け入れ合う事ができますように。私たちがいつも、人々に対して見返りを求めることなく、手を差し伸べる事ができますように。そうして、私たちの願いは、信仰のうちに一致を見出す事となるのです。