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2025年5月18日・復活節第5主日(C)

使徒言行録14.21b-27/詩編145.8+9,10+11,13ab+14/黙示録21.1-5a/ヨハネ13.31-33a,34-35

私たちは、今日もイエス様のご復活の真理に対する使徒たちの受け入れ方について黙想しています。使徒たちがイエス様に対する信仰を強める事で、彼らがある場所や他の共同体を移動しながら、イエス様の他の弟子たちを霊的に強める事が、彼らの主な役割となりました。使徒たちは、イエス様の事を知らない人々やイエス様を信じていない人々(異邦人たち)に対してさえも、彼らの信仰の門を開くようにと努めました。使徒たちは、忍耐強く人びとに信仰を述べ伝え、すべての人々が、イエス様のご復活とイエス様のうちにある神さまの愛と罪の赦しについての真理、そして、回心の大切さを理解するようにと努め続けました。今日の第1朗読で強調されている初代教会や初代教会の長老たちの信仰の成り立ちは、信仰と信仰共同体の大切さを、そして、同様にイエス様のご復活のうちにある新しい天国と新しい地上での約束の存在に関する知識の大切さをしっかりと示しているのです。

 

イエス様の使徒たちが、人びとの信仰を育てるために苦難を受けてきた事は価値ある事ですが、パウロとバルナバは、その他の弟子たちと共に苦難を受けながらも、忍耐強く彼らを呼び集めて、私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならないと説きました。

 

今日の福音朗読では、イエス様によって与えられた新しい掟について書かれています。互いに愛し合いなさいという掟に即座に従うという事は、イエス様の本当の弟子としての基本となる特徴です。現代人たちは、この掟を様々な方法で理解しています。そして、行動に移したり、あるいは、それが少なくとも弟子としての基本であるという事を理解するのが難しい事だとさえ思ってしまうかもしれません。

 

イエス様の本当の弟子は、イエス様の新しい掟に常に応えるようにと努め、神さまと人とが共に住む事を切に望んでいます。その時が来れば、黙示録に書かれている通り「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

 

神様のいつくしみとあわれみが、私たち皆が正真正銘の弟子となり、柔和で怒るに遅く、思いやりのある寛容な人となるために、私たちの心を奮い立たせてくださいますように。