イザヤ43.16-21・詩編126.1+2ab,2cd+3,4+6・フィリピ3.8-14・ヨハネ8.1-11
四旬節第5主日の今日の朗読では、過度に批判的であり無慈悲で、長い間あるいは生涯に渡って恨みを持つといった、悲しい人間の現実とは対象的に、神さまの赦しが限りなく寛大であることを示しています。私たちは、怒るにおそく、いつくしみ深い神さまから「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向ける」ようにという神さまの呼びかけを学びます。これは、キリスト者としての生き方の霊的な背景のうちにある焦点と決意を、力強く表現しています。キリスト者の一人ひとりは、自分たち自身や隣人たちの過去の罪に執着するのではなく、キリスト者としての目的と願い、すなわち神聖なるものに心を集中させるようにと勇気付けられています。ですから、この四旬節第5主日において、批判的や無慈悲になるのではなく、神さまとの繋がりをもっと深くもっと近くするために努力するようにと勇気付けられているのです。
今日の福音朗読の記述は、本当にとても劇的な場面が描かれています。この劇的な場面には、またしても圧倒的に多い律法学者やファリサイ派の人々と、姦通の罪に問われたひとりの女性が登場します。そして、その女性を告発した人々とまわりの人々全員に対して、イエス様は、罪を犯したことのない者、まずこの女に石を投げなさいという言葉で挑まれるのです。
四旬節は、私たちの周りの物事や人々の状況に対して、判断をするための時間をもたらしてくれます。私たちが、今から、自分たち自身の欠点や個人的な罪を隠すためだけに、隣人たちの個人的な罪を暴いたり非難することを慎むことができますように。さらに、実際には私たちが犯している罪を、罪のない隣人たちのせいにすることを避ける事ができますように。むしろ、隣人たちと巡礼者のほんとうの仲間となり、共にご復活を祝うための沈黙と平静の時間をもっと持つことができますように。