エレミア33.14-16/詩編25.4+5a,8+9,10+14/ 1テサロニケ3.12-4.2/ルカ21.25-28,34-36
今日は、1年を通しての教会生活の始まりである最初の日であり、待降節第1主日です。私たちは、新しい典礼暦を愛と神聖さをもって始めるようにと召されています。この待降節の4週間を、私たちの生活の中でのイエス様の3度のご出現について、祈りのうちに黙想して準備するようにと、私たちは招かれているのです。大切なしるしであり、シンボルとしての待降節のロウソクが、最終的には、イエス様の最初のご出現である、私たちの救い主イエス・キリストのご降誕(クリスマス)のお祝いへと、私たちをしっかりと導いてくれますように。
この待降節の期間に、また、私たちはいつも目を覚ましているように、そして、終わりの時のイエス様の2度目のご出現の時に、私たち皆が、聖なる、非のうちどころのない者に値する者となれるよう、もっと祈りましょう。実際、イエス様の2度目のご出現に対して、常に準備しているようにという招きは、待降節のこの第1週にとても強調されています。
いずれにしても、良いスタートをきるための私たちの黙想のキーワードは、「準備」です。私たちは、ベトレヘムでのイエス様のご降誕が、イエス様の初めてのご出現である事を知っています。私たちは、このクリスマスの訪れを感謝の気持ちを持ってお祝いするためのこころの準備をします。同時に、この先いつ訪れるのかわからないイエス様の第2のご出現についても知っており、私たちは、この出現に対しても準備し、何が本当に大切であるのかを理解するようにと招かれています。
待降節は、今、ここで、私たちの生活の中にイエス様をお迎えするようにと招いています。これは、私たちの中心に、別のかたちでイエス様がおいでになるという事なのです。イエス様は私たちのところにおいでになって、いろいろな状況や、私たち個々のいろいろな経験を通して語られます。このようなイエス様のご出現への認識は、私たちの現在の優先順位と愛着を、再び新しくしたいと本当に願う心を持つことにもつながります。日々の生活の中で、私たちがどのようにイエス様をお迎えするのかという事は、私たちがどのように、感謝のうちにクリスマスをこころからお祝いしたらよいのかということの基盤となります。これは、いつ訪れるのかはわからないイエス様の第2のご出現に対してどのように準備したらよいのかということの基盤でもあるのです。