ダニエル12.1-3/詩編16.5,8,9/ヘブライ10.11-14,18/マルコ13.24-32
今日の典礼は、待降節の始まりを前もって準備することが出来るものだと言えるでしょう。もうすでに、待降節の最初の主日を迎える前の来週の王であるキリストの祭日をお祝いするよう、私たちのこころは高まっている事でしょう。今日の朗読では、この世の終わりについて語られています。待降節の初めの2週間は、預言と回心、この世の終わりとイエス様の再臨についてのテーマに視点を当てています。この世の終わりとは、イエス様がすべての創造物とすべての人々をイエス様のもとに呼び集められるために、最終的においでになる事であると、私たちは古くから受け継がれ、理解しています。ご復活徹夜祭の際の光の祭儀(ご復活のろうそくの祝福)において、私たちは、イエス様がすべてのものの始まりであり終わりである(アルファとオメガ)ことを宣言します。
現代のキリスト者の生き方とは、イエス様が弟子たちに終わりの時について告げられたこと、イエス様のみことばの真実さ、そして、この世に存在する上で必要な忍耐に関して、これらのことが持つ深い意味を見出すことに、もっと心を向けることです。その時がいつ何時に起こるのか、実際にどのように起こるのか誰も知りませんが、神さまが約束されたことは、最終的には、御名において、神さまが定められた時に実現されることを、私たちは信じ、待ち望んでいます。
信仰を持って、私たち一人ひとりは、今を、そして、毎日を隣人への愛と奉仕のうちに生きていこうとしています。もっと大切なことは、私たち一人ひとりが、もうすでに現されている王である神さまの統治をなんとしてでも認め、経験していくことができるために、毎日を平和のうちに生きていけるようにしていくことです。つまり、私たちは、イエス様の生き方を受け入れ、イエス様とのつながりをもっと深めていくようにと招かれているのです。
イエス様とのつながりをもっと深め続けていれば、私たちには、何も恐れるものはありません。イエス様とのつながりをもっと深め続けていれば、いわゆるこの世の終わりの時は、私たち皆にとって、最高の時となるでしょう。