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2024年5月12日・主の昇天の祭日(B)

使徒言行録1.1-11・詩編47.2+3,6+7,8+9・エフェソ1.17-23・マルコ16.15-20

今日の主の昇天の祭日において、イエス様のご復活という事実に対する私たちの信仰の3つの主な側面を、私たちは思い起こします。ご復活されたキリストに対する私たちの信仰の1つ目の主な側面は、イエス様が「新しい命」に入られる事、同様に、イエス様は二度とお亡くなりにはならないという事への理解についてです。3つ目の主な側面は、使徒たちに溢れるほどに注がれた聖霊によって成すべき事、また、私たちが来週にお祝いする聖霊降臨の祭日に取り組む事についてです。ですから、今日のイエス様の昇天のお祝いにおいて、イエス様が十字架上での死の後、御父である神さまと同じ栄光をお受けになるために高められ、よみがえられたという事を、私たちは基本的に理解する事ができます。イエス様は、十字架上での死の後、御父である神さまと完全に永遠にひとつになられるのです。

 

今日の福音朗読では、使徒たちが、イエス様の働きと神の国の建設を続けるようにとの使命を受けました。そうして、今日の第1朗読では、使徒たちが聖霊の訪れを待つようにとの重要な指示を与えられました。聖霊の訪れを待つという事は、多くの使徒たちが、神さまの権限のうちに、神さまがお考えになっている時宜に対しての忍耐と信頼の大切さを理解するためという意味を持っていました。

 

パウロの時代の全ての信じる人々へのパウロの祈りのように、私たちには全ての信じる人々のための最も偉大なる祈りがあります。私たちは、一人ひとりと教会全体が、イエス様の事をもっとよく知るための知恵という霊を受ける事ができるよう、祈り続けます。イエス様の御からだである教会のために祈ります。福音宣教という使命を担っている教会が、言葉と行動の両方を通して、常に真であり、使命に誠実でありますように。

 

 

私たちは皆、癒しの務めを持っています。真のキリスト者の共同体は、ひとりで物事を行う事はありません。傷を受けた癒し手であるイエス様の霊によって、私たちは、人々の魂と心の癒しのために、敢えて多くの時間を費やします。聖霊の働きによって、私たちは、弱い人々には強さを与える力と、絶望している人々には希望を与える力を、受け止めましょう。