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4月14日・復活節第3主日(B)

使徒言行録3.13-15、17-19・詩編4.2、3+4、8+9・1ヨハネ2.1-5a・ルカ24.35-48

先週の神のいつくしみの主日のお祝いに、私たちは罪のゆるしについても話し合う (分かち合う)つもりだったのです。私たちの教会での生活において、特にゆるしの秘跡を通して、私たちが犯した罪と同じではなくても似たような罪を犯すばかりで、私たちの  過去の罪を神さまはいつもお赦し下さるという事を、私たちはよく知っています。ゆるしの秘跡によって与えられる赦しが、私たちの時代に至るまで、神さまのいつくしみのとても 具体的な現れであるという事を、私たちは理解しています。私たちの心の平和は、私たちがゆるしの秘跡を受ける事で、いつも得る事ができる罪の赦しの結果なのです。ですから、 これと同時にそれぞれの多くの事が語られているという事は、また、罪の赦しを通して、 私たち一人ひとりが絶え間ない平和を得ることができるという事なのです。       私たちの教会での生活の中で、私たちの共同体の信徒たちやその他の隣人たちが、自分  以外の人々をゆるす事で、キリストの平和を経験する事ができるようにするという使命が 私たちには与えられています。「この使命」を真に受け入れ、行動に移す事によって、  私たちは、イエス様の生き方と死と復活の真理の本当の証し人となる事ができるのです。

 

今日の朗読の中心となるテーマは、悔い改めと赦しについてです。私たちは、日々の生活の中で何度もイエス様の事を退けてしまう選択をします。第1朗読にあるように、パウロは、民衆と彼らの指導者たちが、無知であるがゆえにイエス様を拒絶する結果となって    しまったと言っています。確かに、私たちは、神さまのいつくしみに対して無知である事 から解放されるようにと、いつも召されています。イエス様に立ち戻り、自分たちの罪を 認め、悔い改めるための勇気を持ち、イエス様からの赦しを受け、平和のうちに生きて  ゆきましょう。

 

 

  キリストの平和のうちに生きる事は、急を要する事かもしれません。これは、明日の 課題ではなく、今日の(今の)課題です。私たちの中におられるイエス様の存在を認め、(イエス様を、私たちの共同体と私たち一人ひとりの日々の生活の中心としましょう)。 そして、主のぶどう園で、心の底から喜びのうちに働きましょう。