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4月7日・復活節第二主日・神の いつくしみの主日(B)

使徒言行録4.32-35・詩編118.1+2、16+17、22+23・1ヨハネ5.1-6・ヨハネ20.19-31

今日の神のいつくしみのお祝いでは、私たちの主イエス様が平和の与え主であるという事を理解するようにと導かれています(もちろん、私たちにとっては初めて導かれる事ではありませんが)。弟子たちは、イエス様が十字架上でお亡くなりになった事で、最初はおびえ、少し後になって、イエス様がご復活されるという事に対しても、ある種の不信感を抱き不安になりました。けれども、イエス様は今までにない方法で、弟子たちに何度もお話になり、平和をお与えになりました。弟子たちの疑心や恐れは喜びへと変わり、そして、おそらく誰もが心の中で望んでいる平和がもたらされたのです。弟子たちが、彼らの中心にイエス様が本当にいらっしゃるという事を確信し、彼らの心に平和がもたらされた事から、私たちもイエス様が平和の与え主であることを知ることができます。

 

キリストの平和によって、私たちの心にもたらされる平和は、私たち皆と神さまとの間に、そして、私たちの兄弟姉妹たち一人ひとりの間に生まれる和解について、最もよく物語るものです。私たちは、いわゆる罪のゆるしによって、キリスト者の共同体がどのように祝福されているのかを、はっきりと知るのです。何よりもまず初めに、すべての人々を神さまとの和解へと導き、その他の兄弟姉妹たちやすべての被造物との和解へと導くという務めは、イエス様の永遠の存在について確信を得る出来事の後に、イエス様の弟子たちの使命となりました。(今日の福音朗読に書かれている事です。)

 

今日、私たちは、私たちの教会という共同体(それぞれの小教区共同体)において、絶えず起こりうる素晴らしい和解について黙想するようにと招かれています。共同体においての一致と分かち合いは、和解についての最高の結果をもたらすことができます。今日の第一朗読では、初期のキリスト者たちの一致と分かち合いについて、はっきりと強調されています。私たちも、私たち自身と隣人たちがキリストの平和を経験する事を心から認め、私たちの共同体を神さまとの和解へと導くという使命と、私たち一人ひとりがお互いに和解し合うという使命を、共に受け入れるための勇気を持つ事ができますように。キリストの平和のうちに一人ひとりを迎えるためには、もう疑心や不安という壁はなく、そして、私たちの日々の生活での言葉や行動の中で、キリストの平和を「生きる」事ができるのです。