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3月31日・復活の主日(B)

使徒言行録10.34a、37-43・詩編118.1+2、16+17、22+23・1コリント5.6b-8・ヨハネ20.1-9

元記事: サンマルティン・デ・ポッレス祈りの会 -3月31日・復活の主日(B)

 

ご復活の主日は、私たちがイエス キリストのご復活をお祝いする最高の日です。今日は、ご復活の主日であり、年間の教会暦の中で、いわゆる頂点となるこの日をお祝いするために、私たちは共同体として集まります。ご復活祭が教会暦の中で頂点であるとされている事で、十字架が、イエス様がご自身をお捧げになった事と、ご復活された事の最高の意味を持ち、また、イエス様が栄光にお入りになった事で、十字架は、その確かな権限を与えられた事を、私たちは、理解することができます。私たちの信仰は深く根を張り、イエス様が栄光に入られた事(ご復活)によって強められます。私たちは皆、イエス様のご復活によって確かな権限を与えられた十字架に対して、最高の価値を与え続けます。

 

  私たちは、ご復活の主日と、神のいつくしみの主日(復活節第2主日)までの8日間を、復活されたキリストへの溢れる喜びのうちにお捧げします。私たちは皆、イエス様が死と罪に打ち勝たれ、いのちを与えられた大勝利をお祝いするようにと招かれているのです。

 

  イエス様の初めの弟子たちは、イエス様が復活される前までは、恐怖のために無気力になっていました。ご復活は、イエス様のすべてと、イエス様とのつながり(共同体)について果敢に宣言するための勇気を、弟子たちに与えたのです。弟子たちは彼ら自身、逮捕、迫害、投獄という過去の経験を思い出しながらも、同時に、イエス様のご復活の喜びに満たされ、イエス様の生きざまと、もっと深く結びつくようになったことに気づきました。今、私たちがここで言っているこの生きざまは、単なる苦しみの経験のみならず、苦しみと栄光の両方の経験です。つまり、恐怖と不安から、苦しみを分かち合い、神さまの栄光へと入る事の理解へと、完全に変化させられたのです。

 

  私たちの現代の世界の教会で、イエス様の初めの弟子たちの経験が、現代の私たちのそれと似ている事に気が付くでしょう。私たちは、日々の生活の中にある苦しみを、イエス様の苦しみと結び付けることができない時、私たちは、ただ悲しみに暮れ、恐れや不安の中で生きてしまうでしょう。けれども、私たちの心の中には、苦しみを受け、十字架上で亡くなり、そして、復活されたイエス様がおられます。つまり、キリスト者としての価値観を守りながら、痛みと苦しみと迫害という経験を通して、私たちは、キリストの痛みと苦しみを分かち合い、同時にイエス様の栄光のうちに、分かち合う者となるのです。私たちの日々の痛みと苦しみの経験は、もはや恐れや不安からなる経験ではなく、深い喜びという経験になります。さあ、皆で、私たちはキリストの十字架を心に抱き続けるであると声に出して言いましょう。

 

  みなさまへ、

 

  ご復活おめでとうございます。