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3月24日・枝の主日(B)

イザヤ50.4-7・詩編22.8+9、17+18、19+20、23+24・フィリピ2.6-11・マルコ14:1-15:47

 

今日、教会はイエス様の勝利に満ちたエルサレム入城の行列の象徴として、私たちがその 行列に加わる事から始まります。聖週間であるこの週の行事の始まりは、イエス様が神さまの王国から遣わされた方であり、イエス様の権能は謙虚さからのものであるという事への私たち皆の理解を、もう一度新たにしてくれます。ですから、私たちは、枝の祝福の典礼に、皆が参加するという事へのより深い意味を知るようにと、常に招かれているのです。十字架が意味するものを根底から覆し、私たちを回心と、この地上で新しい生き方へと奮い立たせ、やる気を起こさせ続けるという、新しい意味をお与えになったイエス様のうちに、私たちは人生を歩み続けましょう。

 

それ故に今日のミサで、日々の生活の中にある苦しみに対して、もっと忍耐し、努力し続けるようにという事を、私たちは学びます。忍耐と努力とは、それぞれの家族や友達、そして、いろいろな人生を歩んでいるその他の人々と共に、この地上での生活を送る上での確固たる信仰を意味します。特に私たちは、心からイエス様の十字架を受け入れ、キリストの十字架と共に「この」人生を歩むという事の生き方の違いを知るようにと召されているのです。

 

イエス様の十字架上での死の前の最後の日々について、聖書の中で繰り返されている記述を、実り豊かなものとしていきましょう。聖書には、裏切りについて、イエス様と弟子たちとの最後の晩餐について、裏切られた後、裁判に連れていかれる際に、どのようにイエス様は応じられたのかについて、イエス様を知らないと言った弟子のペトロの否認について(おそらく裁判にかけられているイエス様の事を知っているという事が明るみに出る事を恐れて)、そして、最後にイエス様が十字架に架けられた事について、という5つの記述があります。

 

祈りに満ちたこの一週間の間に、イエス様のご受難を思い起こす機会を得られるという事は、受け取ることのできる、私たちにとってかけがえのない贈り物です。この聖なる一週間を私たちがあるべき姿で在り続けられるようにしましょう。