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1月7日・主の公現 (B)

イザヤ60.1-6 ・詩編72.2+4、7+8、10+11、12+13 ・ エフェソ3.2、3b、5-6 ・マタイ2.1-12

 

今日は、主の公現の祭日です。神さまが私たちにお現われになった、4つの偉大なるご出現のうちの2番目のご出現です。今日の典礼で、主の公現という言葉が使われていますが、主の公現という言葉は、他の3つの偉大なるご出現にも当てはまる言葉です。

 



クリスマス(キリストのご降誕)を、4つの神さまの偉大なるご出現のうちの1つとして考えることを、私たちは重要視していなかったかもしれません。キリストのご降誕とは、神さまがご自身を生れたばかりの幼子の姿でお現しになったという事なのです。神さまは、住むところがなく、とにかく貧しい(貧困)環境の中でお生まれになるという形で、ご自身を明らかにされ、お示しになりました。



少なくとも今年のカレンダーでは、主の公現の翌日である1月8日月曜日に、神さまの3つ目の偉大なるご出現、すなわち、主の洗礼のお祝い(神の顕現。マルコ1:11参照)をします。イエス様が、ヨルダン川で洗礼者聖ヨハネによって洗礼をお受けになった事の記念です。



ヨハネによる福音書を読んでいくと、カナの婚姻について書かれている箇所があります。婚姻の宴を通して、神さまがどのようにご自身を明らかにされたのかを、私たちが深く黙想することで、婚姻の宴自体が、イエス様を通して愛と正義と平和を昇華させる天国を象徴している事を学びます。水は古い契約を象徴していて、一方で、新しいぶどう酒はカルバリの十字架について、もっと理解するための新しい契約を象徴しています。



しかし、今日の主の公現の祭日に重要視されているのは、3人の占星術の学者たち(私たちが3人の王様として理解している賢者たち)が、飼い葉桶のもとにやって来る事です。贈り物を捧げるという話は、これらの賢者たちによるものとして有名ですが、同時に、イザヤ書(60:6参照)に書かれている、これらの捧げられた贈り物についても学ぶことができます。



主の公現の祭日に対する私たちの黙想の実りは、賢者たちによって生れたばかりの幼子に捧げられた贈り物の意味することを、私たちがどのくらい深く心で受け止め、理解するのかに依るのかもしれません。また、これらの賢者たちが意味するものを、私たちがどのように見出していくのかにも依るのかもしれません。黄金の贈り物はキリストの王権を、乳香の贈り物はイエス様の神性を、没薬の贈り物はイエス様の贖罪のためのご受難と死を象徴するようになりました。



3人の王様(賢者たち)は、よそ者、異邦人、あるいは、生れたばかりの幼子イエス様を拝むためにやって来ることに関して、完全に部外者と見なされています。このお祝いは、神さまにとっては異邦人も部外者もないという事を、私たちに教えてくれています。神さまがお現われになった事、神さまが存在されている事、神さまとの親密さは、私たち皆のためなのです。さらに、主の公現のお祝いは、現代では特に、人種差別や難民移住移動者のようなその他の問題も、私たちに示しています。



私たちのもとに神さまがお現われになった事をお祝いし、キリストのうちにある一致と、すべての人々を包み込んでくださる事を、いつも気付くことができるようにしましょう。また、神さまは、私たち一人ひとりの経験の中に、そして、その他のたくさんの方法で、日々ご自身をお現し続けて下さる事を感謝いたしましょう。