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12月10日 待降節第2主日(B)

イザヤ40:1-5, 9-11 詩編85:9,10+11, 12+13+14 2ぺト口3:8-14 マルコ1:1-8

 待降節第2主日では、砂漠から現れた洗礼者聖ヨハネが、水によって人々に洗礼を授け、イ エス様が聖霊のうちに授けて下さる本当の洗礼について人々に説き、イエス様がおいでになるた めの準備として、人々に悔い改めるよう招いている姿を、私たちはイメージしています。洗礼者 聖ヨハネの時代の「主がおいでになるために準備する」という概念は、人々がイエス様が奇跡 を行われ、病人を癒され、飢えている人々を満たされることの証人となる上で、イエス様の公生 活の始まりのとても大きな衝撃に対して、必要となる準備と覚悟すことへの招きを意味して いるに違いありません。さらに、イエス様について、そして、イエス様が広めようとされていた 新しい社会についての全ての真実を知り、完全に受け入れるという真の挑戦がありました。

 

 

 待降節のこの期間に、洗礼者聖ヨハネは、私たちの模範となります。私たちは、あらゆる 人々がキリスト者としての生き方をすることができることを、はっきりと示すようにと招かれて います。私たちは、水と聖霊による洗礼によって、私たちよりも偉大な方に奉仕する使者となり ます。そして、また、待降節の模範としての洗礼者聖ヨハネに倣って、自分自身(心から求めて いる目的の実現へのプロセスとして)をよく知り、自分たちのアイデンティティに対して忠実で あること(誠実であること)を約束します。自信を持って、イエス様の事をいつでも他の人々に 知ってもらう準備ができている自分自身を自覚できることは、すばらしいことです。待降節は、 イエス様のご生涯をより深く掘り下げるのに最適な時です。私たちは皆、イエス様のご生涯にさ えも、深く関わっているのです。イエス様の永遠の存在のうちに、私たちは意識を高めます。そ して、私たちが、最終的にイエス様と共に最高の未来を迎えることを、私たちは願っています。