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9月24日・年間第25主日(A)

イザヤ55:6-9、詩編145:1+3、8+9、17+18、フィリピ1:20c-24、27a、マタイ20:1-16

すべてのいのちを守るための月間202391-104日)



神の優しさ、そして、すべての人々一人ひとりの基本となる価値



 神さまの優しさ/寛大さの豊かさを私たちが黙想する時、信仰の子は、確かに神さまのお考えは私たちの考え方とは違うという事を、ただ単純に受け入れるかもしれません。神さまは、私たちが行うのとは違う種類の正義をお持ちです。神さまは、天国の全ての聖人を愛しておられ、そして、まったく同じ愛を持って私たち一人ひとりを愛してくださいます。ですから、この愛が私たちへの神さまの愛に到達する時、皆が神さまの子どもたちとして見なされ、神さまの平等の愛をお受けする資格を持てるので、私たちは謙虚に感謝の気持ちを込めてひれ伏します。



 しかしながら、いくつかの批判的な考えを持った人々は、一見「神さまの不平等な正義」に思われることに対する、彼ら自身の疑問に答えるために多くの時間を費やすかもしれません。神さまの真の考え方が、どれくらい私たちの考え方と異なっているのか、今日の朗読のたとえ話でとても多くの事が語られています。神さまの子どもたちは、イエス様を受け入れるのが人生の中でどんなに遅くても、天国で聖人たちが受けたのと同じ歓迎を必ず受けるということを、私たちは常に思い起こします。放蕩息子や迷い出た羊のたとえからも、ぴったりの同じ教えがあります。



 今日の朗読のメッセージを完全に無視することなく、私たちは良い雇い主と公正な賃金の概念の壁に少しぶち当たるかもしれません。良い雇用(雇用契約書)では、会社と従業員の利益のために、同意を得たボーナス、有給休暇、その他諸々を含む将来の仕事の性質と大きさ/量について検討した後に合意され、雇い主と雇人の間で署名が交わされます。私たちは、雇用契約が守られている時、一般的に正義がよく果たされていると理解します。時々、世界中の多くの会社や職場での契約違反(合意を得られている契約期間や条件の違反)について耳にします。ほとんどの場合、契約違反は多くの失業につながります。カトリック教会は、正義と平和のための働きかけに取り組んでいるその他の団体と共に協力し合って、何よりもまず労働の権利と、それから、職場での公正な待遇を促進し、そして、そのような多くの不正と戦っています。私たちは、失業している人々を即座に怠惰な人々とは判断しません。彼らの多くは、安全で公正な職場で働く権利を奪われているのです。



 すべての人びとの本来の/根本的な価値をもっと高めていくために、私たちの共同体を捧げ続けましょう。共同体の中での一人ひとりの貢献、役割、立場、体格に関わらず、敬意と配慮をますます高めていきましょう。私たちの共同体の中の一人ひとり、嫉妬や他者と比較するという古い文化をなくすようにとも招かれています。



 

 私たち人間の価値、正義、優しさに対する神さまの視点をもっと理解することができますように。