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8月13日・年間第十九主日 (A)

列王記上19. 9a, 11-13a、詩編 85. 9, 10+11, 12+13+14、ローマ9.1-5・マタイ14. 22-33

 特に私たちの生活の中で、もっとも困難な時に

 

イエス様の存在を認める



  ここ最近の日曜日の分かち合いでは、私たちの黙想のための異なるポイントがどんなにたくさんあっても、教会に来ること、ごミサに参加すること、その他の秘跡を受けること、小教区の人々と一緒に信仰生活をお祝いすること、そして、いろいろな方法で他の人々を助けるという呼びかけに応えることを、どうにか認識し受け止めるようにと導かれています。これらは、私たちの心が宝物のある場所にあるというしるしです。私たちの信仰生活、いわば私たちの宝物である神さまとの関係について、ここでは語られています。

  今日の福音朗読では、パンと魚(膨大な人々、子どもを含む5000人以上の男たちと女たちの食事として)が増えたという、弟子たちとともにおられたイエス様の先に行われた業に続いて、弟子たちが船に乗っている間、イエス様はおひとりで山に登られ、祈られるということが書かれています。

  今日の福音朗読の最初に書かれていることから、祈りは、弟子たちの司牧活動にとって重要な側面であると、イエス様がお伝えになっていることを知るためのチャンスであったに違いありません。実際、祈りは、彼らの司牧活動(奉仕活動)のたくさんのその他の重要な側面の中で、もっとも重要なものです。イエス様ご自身が祈りのための時間を過ごすために山に登られている間、弟子たちがイエス様が膨大な数の人々に食事をお与えになるのを見た後、その次に成すべきことが感謝の祈りに時間を費やすことであることに弟子たちが気づくための良い機会であったに違いありません。

  その後、イエス様は、弟子たちが遭遇している天候の状況(強風と波を伴う嵐)を使って、彼らの信仰を強められます。弟子たちは、恐怖(恐ろしさ、怖さ)のあまり、イエス様が水の上を歩かれて、彼らの方に向かっておられることに、すぐには気づきませんでした。しかしながら、イエス様は、ご自分が誰であるのかを彼らにわからせることで、平和をお与えになりました。イエス様は、嵐のさなかにイエス様の救いと永遠の存在を弟子たちに思い出させてくださり、彼らをお守りくださる約束と、より深いイエス様への信仰をお与えくださったのです。

  時々(または、しばしば?)、特に困難な時に、私たちは神さまの存在を忘れてしまいます。

  神さま、恐怖や動揺、そして不安の中で、あなたの存在を忘れてしまう時、私たちの心を静め、平和のうちにあるために、私たちに十分なお恵みをお与えください。神さまの永遠の存在といつくしみと愛のうちに、私たちの主を賛美しましょう。いろいろな形で現れる嵐の中で神さまをしっかりと見出し、そして、私たちがお互いに異なることがどんなにたくさんあっても、他の人の顔を通してイエス様にお会いする(見出す)ために、私たちの心の中にゆとりを作りましょう。