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6月4日・三位一体の主日(A年)

出エジプト記34.4b-6, 8-9・ダニエル補遺・アザルヤ29, 30+31+38・二コリント13.11-13・ヨハネ3.16-18

 

私たちの生活の中で最も普通の日における私たちの召命


私たちは、今、ご復活節の7週間の後につづく、2番目の週(私たちの教会のカレンダーでは年間第九週)を迎えています。四旬節や復活節のともかく荘厳で重複するテーマの後でさえも、神さまのみことばの黙想における私たちの熱意を保ち続けることを強調したいと思いますが、典礼の内ある普通な日々における数週間は、私たちの典礼の最も豊かさゆえに、確かに素晴らしい時なのです。今月の日曜日の典礼において、私たちは、最も聖なる三位一体の祭日(今日)、次の週には、最も聖なる主の御からだと御血の祭日、その後の金曜日には、最も神聖なるイエス様のみこころの祭日があることを心に刻んでおきましょう。私たちの教会の典礼の豊かさと、聖なる三位一体の一致から溢れ出る愛と恵みを通して、私たちは私たちの生活の中での最も普通な日々における自分たちの召命は、どのようにして神さまの(聖霊の)愛と恵みが私たちをインスパイアさせてくれるのかを見て、目の当たりにするのかを理解するかもしれません。そして、私たちのインスピレーションを受けた経験を他の人々に広げ、分かち合うことができます。

   最も聖なる三位一体の教えは、神さまが深く関わってくださっていることを思い出させてくれます。だらしなさ(私たちの罪)から私たちを贖ってくださるために、みことばから肉となり、キリストの犠牲の結果として聖霊の恵みを通して(私たちを罪から贖ってくださった)私たちに注いでくださった事から、御父である神さまの愛明らかにされます。確かに、私たちは三位一体の神秘を部分的にしか理解できていません。(神さまの愛がとても圧倒的であることは理解される。)けれども、「父と子と聖霊」として示され、明らかにされた神さまの知恵にすべてをゆだねています。

   第一朗読で、神さまのイメージは、怒るに遅く確固たる愛と真理に溢れ情け深く寛容で モーセはひれ伏し、私たちかたくなな人々のために請願を申し出ました。私たち、現代の神様の民は、いつも全くのかたくなさから私たちを救い、本物のクリスチャンとしての生き方へと導かれるよう、祈り続けています。

   福音朗読では、イエス様がニコデモに神さまの愛と救いについて話されたことであると、私たちは気づくでしょう。永遠の命の約束のためにイエス様を信じなさいと、招かれています。聖なる三位一体の意味をもっと深く掘り下げ、そして、三位一体で存在されている唯一の神さまに溢れている一致と愛と恵みを私たちの心の底から見つけだし、畏敬の念のうちに、父と子と聖霊の御名によって、多くの人々に洗礼を授けるという偉大な使命に参加するようにとインスパイアされています。

 

   今日の第二朗読では、聖パウロが、コリントの人々を勇気づけ、道を補修するための過程を耐え、お互いに聖なる挨拶をするようにと語っていることが読み取れます。これらのプロセスは、私たち自身と共同体で喜びと平和の生活をもたらします。確かに、私たちには、神さまの愛とゆるしについて、お互いに分かち合うことがたくさんあります。あなたの貴重な時間の一部を分かち合い、もっとも益となる場所をみつけられるでしょうか?これらのすべての事を理解するためには、私たち自身が長い間作り続けてきた壁や、その他の事や道筋、私たちが神様の愛とゆるしを分かち合うことを知ることを妨げるような考え方、これらを破壊するように努力する必要があります。

 

 

 

主任司祭: アルセ・エクソール・マグボー