· 

4月30日 復活節第四主日(A年)

使徒言行録2・14a, 36-41/ 詩編23・2+3, 4, 5, 6/ ペトロ2・20b-25/ ヨハネ10・1-10

今日は、それぞれの信徒と小教区共同体、そして、広い共同体に奉仕するという、 私たちへの呼びかけについてさらに深く黙想しましょう。私たちの教会生活において、長い年月にわたり、キリストのうちに受けた私たちの洗礼によってもたらされた、とても特別な 使命(召命・呼びかけ)として、「共同体に奉仕する」ということを考えてきました。 クリス チャンの共同体のメンバー(神の民)になることによって、私たちは、はっきりとした役割で奉仕するようにと呼びかけられています。

人生、年齢、肌の色、文化と国籍に関する地位に関係なく、私たちは奉仕します。 確かに、私たちが教会に来るのは、他者の為に祈ることと奉仕するためで、奉仕されるためではありません。

  私たちは、「共同体に奉仕すること」を賜物と理解しているかもしれません。私たちは、共同体へ奉仕することが、心からの本当の興味と意欲を私たちに求めていることそれが時間を要することを知っています!確かに、皆が皆、奉仕しているというわけではありません。多くの人は奉仕するための時間を見つけることができないからかもしれません。私たちの多くは、それぞれの生活、ひとりひとり、個人の生活を守り、思い悩むことで忙しいです。ですから、私たちの共同体の中で、はっきりとした役割を続けることで、私たちはこの賜物を分かち合えるのです

第一朗読:私たちの教会生活の中心は、イエス様、わたしたちの主、救い主です。イエス様についてもっと深く理解することで、共同体の中での私たちの無関心、変なモチベーション、利己的な存在のために、どのようにイエス様を十字架に何度も何度もかけていることを日々反省し、理解するようにと、私たちすべてが招かれています。多分、わたしたちの現在の時代は、まだ「腐敗した世代」なのかもしれません。日々の回心を通して、私たちは、聖霊の賜物を受け、友人を変な場所に招き、連れていくのでなく、いつも祭壇(イエス様)の近くへと伴うことができます。

福音朗読良い羊飼いと羊の門

私たちは、イエス様を私たちの主であり先生として理解し続けています。私たちは、  イエス様のリーダーシップとケアのうちにあるのです。私たちの教会のあらゆるすべての リーダーシップとケアは、イエス様の犠牲、リーダーシップとケアに基づいていなければ ならず、私たちがばらばらにならないよう、助言者や指導者をしている人々から、よき牧者の声をいつも聞き、理解することができます。ですから、私たちは、教会の指導者、司祭と霊的指導者が、いつも適切なモチベーションを持っているようにと、彼らの為に祈り続けています。彼らの健康と幸福のためにはそれほど多く祈らないかもしれません。

また、私たちは、一人ひとりが小教区共同体の中で、はっきりとした役割(ひとつで十分)を得ることをちゃんと考えられることの励ましと勇気を見つけることができるよう祈り続けます。他の人々を祭壇の近くへ連れていきましょう。私たちの教会の門を閉じてしまうことがないようにしましょう(たとえ話や比喩的な話し、または文字通りの話しととらえても構いません)。そもそも、私たちは、ご復活されたキリストの霊以外、教会に宝物を蓄えることはしません!

第二朗読:使徒言行録の朗読は、ユダヤ人が腐敗した世代から彼ら自身を救うという奨励について書かれています。彼らの人生で、イエス様を受け入れることは、彼らの人生を完全に変えていたに違いないです。そして、「腐敗した世代」と言っている世代から彼らは解放されたに違いないのです。私たちは、第二朗読の中心となるメッセージとして、忍耐、召命、と恵みについて黙想しましょう。善い行いによってもたらされる苦しみを忍耐することは、私たちにとって恵みであると書かれています。人々は、イエス様の足跡についていくようにと呼びかけられています。イエス様についていく能力は、神さまと同じ恵みによってもたらされる恵みなのです。

 私たちはみな、忍耐するようにと呼びかけられています。私たちの福音は、調和(混沌 ではなく)、真の平和と本当の幸せを目指しているのであれば、(私たち皆の行動、願いと計画の中心であり、基礎であるキリストにおいて)常に門を通って入るようにと招かれて います。これはすべて簡単な事ではないかもしれないので、そこに至るまでは忍耐が必要 です。忍耐とその他のすべては、神さまからの恵みなのです。

 

主任司祭 アルセ・エクソール・マグボー